40年続いたこども美術教室の始め方|家庭で育てる子どもの感性と、無理のない一歩の踏み出し方

美術の考え方・ヒント

「1,000人以上の子どもたちと歩んだ40年|心に寄り添うアートを大切にしてきた理由

気づけば、目の前の子どもたちの笑顔とともに、40年という月日が流れていました。
これまで関わってきた子どもたちは、1,000人以上になります。

これから「自分の教室を持ってみたい」と考えているお父様やお母様、
あるいは、何か新しいことを始めたいけれど、あと一歩が踏み出せずにいる方へ。

このお話が、無理のない形で一歩を考えるための、やさしいヒントになれば幸いです。

講師になるつもりはなかった私が「やろう!」と決めた訳

気づけば、目の前の子どもたちの笑顔とともに40年という月日が流れていました。

これから「自分の教室を持ってみたい」と考えているお父様、お母様へ。 あるいは、何か新しいことを始めたいけど、あと一歩、何をいしたらと迷っている、あなたへ。

予想外だった「講師」への扉

最初は、プロや、それを目指すためのいくつかのアートコンテストで賞をいただいたことがきっかけでした。 当時の私は、自分の作品を追求することに夢中で、まさか自分が「先生」と呼ばれる立場になるなんて、微塵も思っていなかったのです。

こんな折、とある大手の出版社の教育部門から「子ども向けの美術教室を開いてみませんか」という講師のオファーをいただきました。

人前で何かをするのが苦手で、小学生時代は答えが分かっていても手を上げない生徒でした。「そんな私に講師など務まるだろうか?」「作家としての時間がなくなるのではないか?」……そんな迷いを抱えながら、自分の勉強になる事と、まずはどんなものか知るために、講師向けの研修に参加してみることにしました。

「今の子どもたち」に、これが必要だ

しかし、その研修が私の人生を大きく変えることになりました。

そこに目にしたのは、上手な絵描きのテクニックではありませんでした。

「これは、私が教えるわけではない。子どもたちと一緒に、未来を創る仕事なんだ」

そう思いました、胸が高鳴りました。 提案された課題の内容もユニークで面白い、「これを教えることは、私自身の表現にとっても、大きな学びになる」と確信したのを今でも覚えています。

利益よりも、もっと大切なもののために

それよりも、「この場所があれば、子ども達がもっと輝ける」「自分にできることで、誰かの未来に貢献したい」という純粋な思いが、私を突き詰めました。

お金のためではなく、ただ「目の前の子どもたちのために」と始めたあの日。その一歩が、まさか40年という宝のような時間に繋がるとは、当時の私は知る由もありませんでした。

子どもたちが輪に並んで木材を使い船を作っている場面の写真

(画像)木片や木材を利用して船を製作中の写真です。

生徒3人からの出発。場所探しと集客の「理想と現実」を乗り越えた方法

「自分の教室を開こう!」と決めたとき、最初にぶつかる大きな壁。 それは**「場所」「生徒募集」**です。

40数年前、私がまだ「新米先生」だった頃の、泥臭く愛おしい足取りの記録をお話します。これから教室を考えている方にも、きっと何かのヒントになるはずです。

1. 「場所」選びの苦労:断られて見えた「自宅教室」の価値

最初は公民館や集会室を検討しました。しかし、現実は簡単ではありませんでした。すでに同じような教室があるとか、美術教室というと汚される、などの理由で断られてしまうのです。場所探しは諦めて、私は古くなっていた自宅の一部屋で開くことに決めました。

項目 外部スペース(公民館など) 自宅教室
メリット プライベートと関係なくできる 使用料ゼロ、時間の融通が利く
デメリット 使用料発生、時間の制限、教材の忘れ物が怖い 家族の協力が肝心、公私混同される

「忘れ物をしても、すぐ奥の部屋から持ってこられる」というのは、自宅教室ならではの意外な安心材料でした。

2.「3人以上の名前」を探して。アナログ時代の集客術

1981年、まだパソコンもSNSもない時代。私の武器は、本部のポスターと、自分で配るチラシ、それにカエルのマークの看板だけでした。(何故カエルが使われたのか、理由は今の教育を「変える」という理想からでした)

ここで私が意識したのは、「どこに目標があるか?」を想像することです。新聞折り込みに加え、近所のアパートやマンションの郵便受けを一つずつ確認し、「家族の名前が3人以上連っているお宅」(=子どもがいる可能性が高い)に決めてチラシを入れました。

「1,000枚配っても、申し込みは1〜2人」が良いところ

これが当時の相場と言われている中、1981年4月の開校時に集まったのは3人の生徒さんでした。中の一人は、これまでの美術教室を辞めようか悩んでいた時にチラシが入っていたのと、近いからと言う理由でした。

3.「帰りたくない!」という子どもたちの熱量

教室が始まってからの一番の課題は、**「時間のコントロール」**でした。 学習塾と違い、アートには「正解」も「終わり」もありません。 楽しいから帰りたくない子、こだわりがあって時間がかかる子。 進学地域という土地柄、塾の後に遅れて来る子……。

マニュアル通りの「目標時間」には収まりません。でも、その**「熱中してやめられない姿」こそが、アート教室の本質的な価値**なのだと教えられたのも、この時期でした。

4. 10年目の転機:実績が新しい扉を開く

コツコツと口コミで生徒が増え、10年が経つ頃には、週2回の授業で30名の生徒が通う教室になっていました。

ある時、珍しく地元の老舗デパートでカレンダー作品のコンテストが開催されました。B3サイズ、6枚セットでなければ応募できない規定でした。もう時間がない、教室の準備もある、しかしやってみよう!とギリギリ応募した作品は大賞を受賞しました。その時の雑誌のインタビュー記事を見た、かつての恩師から連絡があり、市内でも有名な幼稚園での「課外教室」を任されることになったのです。

マンモス幼稚園で園児数も多い中、限定20名募集」に対し、空き定員オーバー。もっと増やせないかと打診されましたが、自分一人で全員を見るのは、これが限界だと思ってのことでした。「限定」とつけたのが、ますます応募が増える理由かもしれないと園長先生に言われました。

個人の「自宅教室」から始まった活動が、**「地域に認められる存在」**に、やがて大きく広がった瞬間でした。後に地域の推薦で民生委員児童委員協議会の中に位置する「主任児童委員」として4年半、活動することにもなりました。


「やめないで」の発言は子どもたち、そして私の中の「小さな私」でした

「どうやって40年も続けてこれなのですか?」 そう聞かれることがよくあります。

教室を運営していれば、大変なことも、体力が追いつかないと思う日も当然ありました。それでも私が一度も「辞める」という選択肢を選ばなかった理由、 それは、子どもたちが教えてくれた「アートの力」と、私自身の心の底に眠っていた「癒やし」からでした。

「遠足よりも、美術教室に行きたい」

まち付きの神武器ウロを改良して被り物を作った時の写真

(画像)まち付きの紙袋を利用して、被り物を作り、黒のゴミ袋で着る物を作り変身!した写真です。

ある朝、一本の電話がかかってきました。 幼稚園の生徒さんのお母様からでした。

「先生、申し訳ありません。熱が下がらず、今日はお休みさせてください……」

「受話器の向こうでお母様は困ったように、でも少し感動したような声でこう続けました。 「実は、昨日から熱があって。『どうしても明日は先生の教室へ行きたいから、道具を枕元に置いて寝る』と言って、画材を抱きしめるようにして眠ったんです。今も、行けないのがわかって、横で泣いているんです……」

そんなに楽しみに待ってくれている子どもたちを、裏切るわけにはいかない。もっと楽しい時間にしよう!」 その決意が、40年間の私を突き動かす最大のエネルギーでした。

否定された過去から、肯定の未来へ

実は、私がここまで子どもたちの「表現」に情熱を注ぐのには、もう一つ私的な理由があります。

私の父は、大変厳しい人でした。文化的な活動を軽んじる傾向があり、「美術で良い成績をとるような奴は頭が悪い」「そんなものに熱中するから理数系が疎かになった」と、私の得意だった絵を褒めてくれるどころか、厳しく叱り続けたのです。

当時の私は、心が傷つき、自分の居場所を失ったような気持ちになっていたものでした。

だから、私は教室に来る子どもたち全員に、心​​の底からエールを送り続けてきました。

「みんな、素晴らしい! 大丈夫、あなたなら必ずできるよ」

子どもたちの心に寄り添い、その子が描く一本の線、選んだ一色の絵の具、子どもたちのやりたい気持ちを丸ごと肯定し、一人一人がどうしたいのかを一緒に考えること。 その時間は、実は子どもたちを育てるだけでなく、傷ついた私自身の「インナーチャイルド(内なる子ども)」を癒す時間でもあったのです。

お金では買えない、命の輝きを見る仕事

それぞれの子どもたちが廃品類を使った造形工作と一緒に記念撮影し歌写真

(画像)お家にある廃品類、空き缶などを利用して、それぞれ好きな形を作った写真です。

みんな「できた!」と顔を輝かせ、自信に満ちた表情で作品を見せてくれます。その瞬間、教室にはキラキラとした命の輝きが満ちていました。

その輝きを共に分かち合えることは、私にとって何物にも代えがたい「心の報酬」でした。

もし、あなたが「自分にできるだろうか」と悩んでいるなら、どうか知ってください。 あなたの提供する場所が、誰かにとっての「助け」になり、そしてあなた自身の人生をも救うことがあるということを。

40年経った今、私は自信を持ってそう言えます。

なぜ「プロの教室」を開く私が、SNSで「お家アート」を発信するのか?

「先生の教室と、家でやるお絵描きは違うのですか?」

40年の講師生活の中で、何度か聞かれた言葉です。私はプロの講師として、教室での時間は「家では絶対にできない体験」を提供することに心血を注ぎました。

しかし今、私はSNSやブログ、多少「お家で簡単に楽しめるアート」を発信しています。 そこには、40年かけて頑張ってきました、ある切実な願いが込められています。

1. 教室は「ゼロから解放」挑戦の場

私の教室では、市販のキットは一切使いません。 100gまでを計測できる「測り」を作ったり、モーター付きの扇風機を作ったり、竹馬をゼロから組み立てたりもします。

高学年では、電磁石から手作りしてベルを鳴らしたり・・・子どもたちと一緒に苦労した造形工作もたくさんありました。

貴重な教材や、普段の生活では珍しい素材を使い、高学年になると、数週間かけて一つの作品を作り上げることもありました。それが、どれだけ子どもたちの集中力や対応力、心を育んだことかと思い返されます。

その分、講師としての準備は壮絶でした(この「講師のNG集」は、また別の機会にお話ししますね!)。

2.「上手・下手」という言葉で、子どもの心が折れる瞬間

そんな情熱を込めた教室を運営している中で、どうしても拭えない「寂しさ」を感じることもありました。

それは、子どもが目を輝かせて持ち帰った作品を見た保護者の方が、**「あら、なんだか下手ね」「もっと上手に描けなかったの?」**と、大人目線の評価を一言漏らしたときです。

学校の先生ですら、専門外だと「結果(出来栄え)」だけで判断してしまうこともあります。でも、子どもにとって大切なのは、完成図ではありません。

  • どうやって色を作ったか

  • どこで苦労して、どう乗り越えたのか

  • どの瞬間に「ひらめき」が生まれたのか

その**「プロセス(過程)」**にこそ、宝物が詰まっているのです。私はそのプロセスを伝えるために、学期末ごとにそれぞれの成長を記したノートを書いて親御さんに手渡してきました。

3. お家アートは「親子の共通言語」

私が今、ブログで廃品や100円ショップの材料を使った「お家アート」を紹介している理由、 それは、保護者の方にも「作る側の苦労と楽しさ」を体験してほしいからです

一度でも一緒に取り組んでみると、すぐに手出しをしないで子どもを見守る難しさや、形になった時の喜びがわかります。

「上手だね」ではなく、「ここ、頑張って工夫したんだね!」へ。

お家で、身近な材料を使って、親子で笑いながら何かを作る楽しさ。 その時間は、子どもにとって一生の財産になります。 そして、その経験があれば、大人は子どもの「心の成長」というプロセスを、ずっと見守れるようになります。

私の教室に来られるお子様は限られていますが、このブログを発信することで、より多くの親子の絆がアートを通して多くの楽しさや気づきがあることを願っています。


執筆者:五十嵐 裕子
専門分野:児童造形指導40年/元「こども美術学園」講師、研修委員
・活動内容:親子造形ワークショップ主宰。木工・紙工作・紐素材など五感を育む絵画・造形が専門。
・実績:研修委員として新課題マニュアル作成や後進の指導に携わるなど、子どもの発達段階に合わせた指導経験が豊富です。
作品制作蒼依 佑樺名で主にアクリル絵の具を使用したイラストレーション・絵画の他 廃品をコラージュした半立体も制作。受賞歴多数。
・画像について:すべて執筆者撮影(教室・自宅にて)。40年の指導経験に基づき、安全に配慮の上で実施しています。/安全配慮の上で実施。
*お問い合わせ:artlife1021@gmail.com

 

 

 

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